I don't think so !

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海王丸と富山湾の曇り空

問題は「内閣人事局」にあるのか、人事を行う人間にあるのか

十一曰 明察功過 罰賞必當 日者賞不在功 罰不在罪 執事群卿 宜明賞罰(出典:17条憲法

第11条 (官僚の)功績や過失を明察し、賞罰はこれをもとに行え。最近功績不在の賞、罪不在の罰(が見られる)。上に立ち執務している官吏たちは、賞罰を適切かつ明確に行え。

内閣人事局

防衛省の日報の隠ぺい、厚労省の調査データのメイキング、財務省の決裁文書の改ざんなど不正の連鎖の原因を「内閣人事局」に求める意見が多い。政治家の優位性を確保するため人事権を官邸主導にしたのが「内閣人事局」だ。民主党政権で発案され、自民党・安倍政権が2014年4月に成立させた。これにより日本の官僚は完全に「骨抜きにされた」とまで言われている。人事権を官邸が握ったため、官僚たちは忖度して政権に不都合な事実の隠蔽や文書の改ざんを行い、政権に都合の良いようにデータをメイキングするようになった、というのだ。

 人事とは権力の行使である、だから人事する側の見識が問われる

組織において人を行動に駆り立てるのは次の二つに集約できるのではないだろうか。

①名誉とおカネ(昇進・昇格・昇給)

②使命感とプライド(意地)

①が人事に直結する。組織人が「ゴマすり」や「太鼓持ち」と揶揄されようとも人事権を持っている上司に媚びへつらうのは当然のことだ。家族があればなおさらだ。

だから人事の問題とは、される側の問題ではなく、する側の問題であり、する側の見識の問題である。人事権という権力行使の問題でもある。

ところが不幸なことに見識のある人材が人事権を持つとは限らない。特に年功序列の日本ではむしろ見識に欠ける人材が人事権を持つことの方が多いのかもしれない。

人事は権力の行使であるから、見識があるかないかは、行使の仕方が慎重かどうかで見極めることができる。もちろん過去の年功序列の延長で行う保守的な行使を慎重といっているのではない。それは機械的な行使で、それしかできなければ単なる無能力である。

見識がない人間が権力を持つと、やたらと権力をふるいたがるし、人事においては組織や人を無邪気に変えたがる。しかも17条憲法が戒めている情実人事を見識がないから確信犯として堂々とやってしまう。確信犯の場合、結果がすべてだ。結果が良ければ確信犯は極めて高く評価される。英雄とは確信犯である。結果が悪ければ権力の乱用、悪用と厳しく糾弾される。

だから不祥事の連鎖をもたらした今の内閣人事局は、権力の乱用、悪用を重ねてきた結果だと言われても仕方ない。

たとえ内閣人事局を解体しても、恐らく問題は解決しないだろう。常に権力を行使する側の見識の問題なのだ。

見識のなさが招いた不祥事

安倍政権は誕生のときから、「お友達によるお友達政治」とか「お友達内閣」と言われ続けてきた。結局のところ安倍総理の「決められる政治」とは賛成者を集める政治に他ならなかった。一方、菅官房長官などによって繰り返されてきた常軌を逸したマスコミ攻撃などは恫喝政治だ。

およそ権力の行使において、慎重とか見識といったことから、これほど遠い政権も珍しい。