I don't think so !

じゃあ、お前はどう考えるのだ!

海王丸と富山湾の曇り空

言語能力は思考力のバロメータ

バイリンガルの思考能力に関する調査は古くから世界中で行われており、言語学の分野では「バイリンガルの知能はモノリンガルの知能よりも低い」ことが知られている。そうでない人もいるが、それはもちろん優秀だからである。優秀ではない人口の8~9割を占めるわれわれ凡人がバイリンガルの環境で育つと、だいだいにおいてバカになるということだ。

「言語の限界が思考の限界」、つまり思考は言語で行うため、言語能力が低いと思考能力も低い。言語とは母語もしくは母国語のことである。日本人であれば小学生から英会話を習っても、たとえ米国に移住しても日本語で考える。日本語で考える力が思考能力にほかならない。考える力を向上させるためには日本語力を鍛えることが必要だ。英語と国語が弱いと東大の入学試験を突破できない。もちろんそれ以外の数学や物理が弱くても突破できないのだが。     

幼稚園や小学生から英会話教育をすると子供がバカに育つ

 そのため言語学者はもちろんのこと、教育界、海外で丁々発止と仕事をしたことのある人たちの多くが、小学校の英会話教育導入に反対してきた。しかし、自民党公明党の政府与党は聞く耳を持たない。日本語教育をしっかりしなければ教育勅語池田大作先生の著作物を読みこなすことも理解することもできないのにおかしな話だ。確かに海外で買い物ができる英会話能力の方が教育勅語よりは役に立ちそうだ。

「日本のことをきちんと話せるだけの教養がないとバカにされビジネスの世界でも相手にされない」といったビジネスマンの話は良く聞く。日本語で満足に自己紹介できなければ、英会話を身につけたところで、やはり自己紹介できない。日本語の語彙力が低ければ、いくら英語を勉強しても語彙力は低いままだ。小学生の会話は日本語にせよ、英語にせよ小学生の会話なのだ。実に単純な話だ。

思考能力の低いバイリンガルを通訳に使ってはならない

東南アジアから12歳の時に親に連れられて来日し、帰化した知人がいる。両親も現地の人だが頑張って働いて学費の高い日本の私立大学を卒業させてくれたそうだ。もう40歳近くになるのに日本語の発音はそれなりのレベルだ。日本語での会話も何を言っているのか分からないことが良くある。東南アジアの会社で通訳として紹介されたのが知人となったきっかけだが、確かに彼の現地語はネイティブだ。しかし通訳してもらってすぐに分かったのだが、彼の通訳を現地の人は一生懸命に聞いているのだが、だいたい怪訝な表情をしている。私の話が伝わっていないのは確かだ。そこで表現を変え、再度、通訳してもらう。これを繰り返して現地の人が合点のいった顔をして、私を見てニコッと笑ったのを確認してから次の話に進めるしかなかった。だから打合せ時間が長くなる。長くなると私の話や現地の人の質問の通訳はどんどん短くなる。最後は何を彼らは聞いているのかと問いただしても「いやつまらない話をしているだけですよ」と完全な省略モードに入る。

夕食の接待を受けたときは、くつろいだ雰囲気だったので冗談を言ったつもりだったが、これが失敗だった。まず、通訳の知人が怪訝な表情をし、通訳してもらった現地の人はさらに怪訝な顔する。アルコールが入り言い直すのも面倒だったので「この食事は美味しいですね」とか「この材料は何ですか」と小学生のような会話を通訳してもらうしかなかった。

そこではたと気づいたのである。彼の現地語能力は来日した12歳のときのままなのだ。現地語で中学、高校の教育を受けていないから仕方ないのだ。したがって思考能力も12歳並みなのだ。大人の会話や冗談は小学生には理解できないということだ。彼との日本語での会話も良く分からないことが多々あったのだが、現地の人たちも私と同じ状態だったのである。結局のところ小学生を介して仕事の話をしていたのと同じだったのだ。

母国語の言語能力が思考力を決定するのである。       

 テレビでお笑いタレントの下品語にさらされると子供はバカになる

最近とみにテレビが下品になった。ため口と下品語のオンパレードである。「バカ」、「アホ」はテレビの日常用語だ。下品語でうるさいCMや食事時に下痢止めやトイレ関連商品の宣伝を流す下品なCMも多い。下品語の特徴は発する言葉が短く、うるさく、語彙が少ないことだ。つまり論理的ではなく、感情を少ない言葉でストレートに表現する。たとえば「やばい」という言葉の意味は状況によって変化する。相手をけなしているときにも、褒めているときにも使われる。語彙が少ないから自然とそうなるのだ。状況を察して「やばい」の意味を正しく把握しないと「空気が読めない」とレッテルが貼られる。

ビジネス文書は分かりやすさと誰が読んでも同じ内容として理解されることが必要だ。そのためには言葉の定義が重要になる。一つの文章の中で同じ言葉が異なる意味で使われたら理解しづらくなるが、そのような文章は意外と多い。たとえば「コミュニケーション能力が低い」という場合、「コミュニケーション」の定義がなされないまま、文脈の中で「挨拶ができない」、「パワーポイントの使い方が下手」、「メールの表現が不適切」、「人と接するのが苦手」、「部下に対して高圧的である」と意味が変化してしまうと、一体全体書き手は何が言いたいのか、何を問題だと思っているのか分からなくなるし、読んでいる方としても使われている言葉の意味が曖昧だと、すごく疲れてしまう。

そこで意味を問いただすと「いや全部ですよ」と平気で言う。「全部」という表現も良く聞く言葉で、語彙力不足を物語る常套句だ。そうなると提案書としては最悪の総花的、羅列的な内容になる。体系的でなく、焦点も定まっていない総花的な提案はだいたいにおいて受け入れられないし、やらせたところで失敗するだけだ。

テレビから逃げるわけにはいかないだろうが、それでもお笑いタレントの下品語は百害あって一利なしだ。子供は下品語しか使えないバカに育ち、ビジネス文書を満足に書けない大人になるだけだ。

言語能力の貧しさは、思考能力の貧しさにほかならない。お笑いタレントを見ていると良く分かる。あのように子供は育つのだ。ぞっとする世の中だ。

下品語が蔓延し優越感溢れるネット空間

「能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス」(Wiki)をダニング=クルーガ効果といい、米国の企業では熱心に対策を講じている。そのような人材を採用したり、重要なポストにつけたりさせないためだ。

そのような口先だけの勘違い人間は昔からいたのだが、ネット空間がそれに拍車をかけている。米国のITベンチャーの大半がどうもそうらしい。あきれるほどレベルの低いプログラムの売り込みが多いという。シリコンバレーが勘違いしたアホの巣窟と言われるようになって久しい。投資家の腕の見せ所は勘違いしたアホの中に埋もれているキラリと光る人材の発掘なのだ。

ネット空間における下品語の蔓延は思考力の低さを端的に物語っているのだが、ビジネス文書などを普通に書くことのできる人間は下品語を使うことができる。下品語を使って下品な自分を演出して、ネット空間で暴れさせることもできる。しかし下品語しか使えない人間は下品なまま、一方的に下品語を垂れ流すだけだ。提案書などを仕事として書かせても雑文しか書けない。論理展開できないから説得力のある文章にはならないのだ。提案力とは説得力であり、説得力とは論理力であり思考力なのだ。

ネトウヨと呼ばれる現象はダニング=クルーガ効果の典型だろう。「優越の錯覚」は当然のことながら権力志向になる。優越感とは高みに立つことだからだ。かといって権力を叩くほどの知識や技量はないから、権力側の発言を引用して野党やデモ参加者を叩いたり、弱者や少数者を上から目線でバカにしたり、ヘイトスピーチに走ったりする。引用や他人を見下す発言を繰り返すことで、それが自分自身の知識や意見あるいは自分が高みに立っていると錯覚して、最後は自分は絶対に凄い、完璧だという全能感に行きつく。権力との一体感、これがネトウヨと呼ばれるネット空間におけるダニング=クルーガ効果だ。ホームレスの襲撃と根は同じだ。

小学生後半から中学生の反抗期にネット空間で「優越の錯覚」に陥ると最悪だ。あれこれ思い悩んだり我慢したりすることもなく、無邪気に下品語をネット空間に垂れ流すことによって、下品語で自己完結し、思考力が弱いままに育ってしまうからだ。それ以降、たとえ勉強したとしても単語の数が多少増えるぐらいで、下品語による思考力の弱さを脱することができず、反抗期の未熟さのまま大人になる。オンラインゲームでチャットをやっても、この手の相手はつき合いが長続きしない。大半は一方的に下品語や罵詈雑言を繰り出して、さっさとどこかに行ってしまう。結局のところ、長続きするのはごく普通にチャットのできる人たちばかりだ。ネット空間で普通にチャットのできない人間は現実空間でも普通に会話ができない。

言語能力は思考力のバロメータなのだ。ときには生き方そのもののバロメータでもある。