I don't think so !

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海王丸と富山湾の曇り空

「頭に来てもアホとは戦うな!」(朝日新聞出版)未読感想文―アホと戦わないから、アホがのさばる世の中になってきた!

書店で「頭に来てもアホとは戦うな!」(朝日新聞出版)を見たとき、そうだろうなと思ったことを良く覚えている。入り口付近の棚に置かれていたので売れているのだろう。しかし本を手にすることはなかったし、今もって読んでもいない。なぜなら、私のサラリーマン人生はある意味、アホとの戦いの連続だったからだ。

私が対峙してきたアホを定義すると、だいたい次のようになろうか。

1)人から学ぶことができない、もしくは学んだフリをすることが好きで、人の言ったことや書いたことを良く披歴するが、それを実行することはなく、学んでいないことがすぐに露呈する(学習能力の欠如)

2)人の意見を聞いたり受け入たりすることができず、常に自分の考えや行動が正しく、それを無理やり周りに押しつけようとする(自己絶対化)

3)罵詈雑言、誹謗中傷、足の引っ張りが強烈である(他者攻撃)

学習能力欠如、自己絶対化、他者攻撃が三位一体となった筋金入りのアホは昔からいるし、年齢や性別も関係ない。

かく言う私も若い頃、別会社の先輩から酒を飲みながら「自分を相対化しろよ」と何度も言われたことがある。その先輩からすると私もアホだったのだろうが、注意されるたびに、その意図が理解できる気がしていた。エラそうにしていたのだ。自分を相対化しろよとはエラそうにするなよ、という意味だ。幸せなことにサラリーマン人生の中で、私には尊敬できる先輩が4人もいた。その中の一人だったので素直に注意に耳を傾けることができたのだ。

アホと対峙しないと敗者になるだけ

アホの攻撃性は、アホだから仕方ないのだが凄まじいものがある。サラリーマン人生を長くやっていると、何度もアホの攻撃を食らったし、相手の人格を完全否定するようなアホの下品な攻撃も見てきた。だから「アホとは戦うな!」という本は一面正しい。逃げるが勝ちである。

しかし、ちょっと待てよ、である。

私の場合は、それなりにプライドもあったから、反撃したり、すかしたりしてきたし、立場上もしくは状況的にそれができない場合は、酒を飲んで忘れるようにしてきた。

アホに対する処方箋は、今のところ二つぐらいしか思いつかない。

①尊敬できそうな上司や先輩をつける 

②恫喝して黙らせ、できそうな仕事を与え、それだけやらせる 

①は体育会系だと先輩は絶対的存在、絶対服従の存在なので簡単なのだが、アホは精神論が好きな割には人生の先輩や上司という関係を完全に無視する。事実、温厚な上司や先輩に向かって罵詈雑言浴びせかけている光景を何度か見てきた。かといって尊敬に値する上司になることも、そのような管理者を育成することも絶望的だ。だから①の処方箋はなかなか成立しない。

②が基本的には有効であるが、そのような立場になれる人は少ないだろうし、最近ではパワハラとしてこの処方箋は封じられつつある。だから有効ではあるが処方の仕方が難しい。いやはや面倒な世の中になってきたものだ。

しかしアホから逃げてはならない。アホがいるからといって会社を辞めてもならない。一度逃げることを覚えると、どこに行ってもアホはいるから、逃げ続ける人生を歩むことになりかねない。逃げるが勝ちではなく、逃げるが負けになるのだ。逃げるぐらいなら、まだ、対峙しつつも無視せよ、である。それでも会社を辞めざるを得ないときは、アホがいるからではなく、それ以外の前向きな理由づけをきちんとしてから辞めるべきだろう。

年功序列の社会がアホを蔓延させている

おおよそアホは自ら仕事の成果を上げることができないので、欧米では早晩淘汰されるのだろうが、困ったことに日本は終身雇用の年功序列である。足を引っ張ってきたり、罵詈雑言を浴びせてきただけのアホでもある年齢に達すると出世する。時にはそれが元気が良いとか部下に厳しく言える人材だと評価されて早く出世したりする。あるいはアホほど部下がやったことを自分がやったと喧伝して出世する。

誰から見てもアホだと分かっている人間を出世させるときの常套句が「立場が人をつくる」である。アホでも管理職にすれば管理職としての責任を自覚するだろうし、自覚してもらわなければ困るという期待感である。しかし残念ながらこれは年功序列制維持の方便でしかない。「立場が人をつくる」のが事実なら管理職や役員の多い会社ほど成長するだろうが、そんなことはあり得ないのである。

こうして日本においては年功序列により、アホがのさばり、現場で働く人たちが救われない会社が増加している。

米国ではネット社会がアホの増殖に拍車をかけているものの、それなりに対策も講じられているようだ。たとえばグーグルなどの検索機能が自分は何でも知っているという全能感に溢れた勘違いアホを生んでいるとして、その研究と対策が大学や企業でも盛んに論じられている。米国にはトランプ的人間が多いのかもしれない。トランプ大統領の最大の功績はアホの姿を分かりやすく見せてくれていることだ。

最近、企業の不祥事が続発し、技術立国日本のブランドが揺らぎつつあるのもアホが蔓延してきたからではないだろうか。

仕事の進め方を改善しようとすると思いっきり足を引っ張る、足を引っ張るだけでアホは自ら具体策を提示しない(できない)、新しいことに挑戦しろ、失敗したらオレが責任を取るなどと勇ましいことを言っている割には、新しい挑戦に対しては失敗したら誰が責任を取るのかと罵詈雑言を浴びせたり、あれは絶対に失敗すると吹聴して回って足を引っ張る。ちょっとした失敗や不具合を見つけると強烈な鬼首攻撃を繰り出す。

あるいは人の意見を聞かず絶対に自分は正しいと思い込んで勝手に物事を進める。報告もしない。問題が発覚しても悪いのは上司や同僚、部下あるいはパソコンやマイクロソフト社のせいだと強弁する。

だから普通に考えれば信じられないような不祥事や失敗が後を絶たない。厚労省裁量労働に関する調査データのメイキングも、アホが命じたのか、アホがやったのかのいずれかだろうが、あまりにも都合の良すぎるバレバレのメイキングだ。加えてそれを単なる野党の難クセと言い放つ与党議員、川崎重工の新幹線の台座問題、リニア新幹線の談合などなど、イケイケドンドンのアホが蔓延しているとしか思えない出来事ばかりだ。

どこにでもアホは必ずいるのに、アホをのさばらせ、制御できなくなっているのだ。

だから企業においては生き残りをかけてアホと戦える人間はアホと戦うしかないし、朝日新聞出版は「アホと戦うな!」などと言わずに、アホな権力者やその取り巻きと戦わなければ、日本の存続は危うい。アホは、いまそこにある危機なのだ。