I don't think so !

じゃあ、お前はどう考えるのだ!

海王丸と富山湾の曇り空

安倍総理の米国訪問(4月17日~20日)―どのような「ほほ笑み」でトランプ大統領に会うのか、どのようなお土産を持参するのか

俳優でもない安倍総理に負わされた新しい「ほほ笑み」

ホワイトハウスのカメラの前でトランプ大統領は「安倍晋三首相と話をすると、ほほ笑んでいる。『こんなに長い間、米国を出し抜くことができたとは信じられない』という笑みだ」と述べた(3月22日)。ツイッターならまだ救いもあろうが、これじゃ身もふたもない。さすがの私も安倍総理に対して同情を覚えてしてしまう。おっと危ない、危ない、「安倍総理は即刻退陣せよ」だった。

あれだけほほ笑みまくって米国に出かけたり日本にトランプ大統領を迎えたりしてきた結果が、この発言である。さて安倍総理は今回どんな「ほほ笑み」でトランプ大統領に会うのだろうか。

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私は安倍総理に会ったこともないが、テレビで見る限り不器用な人のように思える。ゴルフのスイングにせよ国会答弁にせよ、不遜だという声も多いが、私には不器用なようにしか見えない。ただ、不器用なのに本人は器用だと思っているから始末が悪い。まるで運動神経の鈍い暴走族が運転する車のようだ。

恐らくマスコミは、怒アップで安倍総理の「ほほ笑み」を撮るだろう。乞うご期待。

トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争、中国は猛然と反撃、さて安倍総理は?

トランプ大統領安倍総理に対する発言を気にする必要はなく、それがトランプ大統領だ、という意見も多い。

しかし私はとても気になる。トランプ大統領が喜ぶような望外のお土産を持参するのではないだろうかと。オスプレイやミサイルの大量の追加発注などだ。週刊誌では3兆円とも報じられている。ここはしっかりと見定める必要がある。

一方、中国は猛然と反撃し、大豆などを対象にした制裁をちらつかせている。するとトランプ大統領は次のような反応をツイッターで示した。
「中国と貿易戦争をしているのではない。その戦争は何年も前にアメリカを代表していた馬鹿で無能な者たちのおかげで負けている。現在年間5000億ドル(約53兆円)の貿易赤字があり、3000億ドル(約32兆円)の知的財産が盗まれている。このようなことをこのまま続けさせるわけにはいかない!」(2018.5.4)。

明らかに中国の反撃が利いている様子だ。それにしてもトランプ大統領安倍総理も良く似ているのだが、前任者を非難するのはあまりにも格好悪いので、そろそろやめてはどうだろうか。自信のなさがミエミエなのだ。いま、あなた方がナンバーワンなのだ。

さて安倍総理トランプ大統領に対して、毅然と対応するのか、それとも大量のお土産を持参するのだろうか。

問題は「内閣人事局」にあるのか、人事を行う人間にあるのか

十一曰 明察功過 罰賞必當 日者賞不在功 罰不在罪 執事群卿 宜明賞罰(出典:17条憲法

第11条 (官僚の)功績や過失を明察し、賞罰はこれをもとに行え。最近功績不在の賞、罪不在の罰(が見られる)。上に立ち執務している官吏たちは、賞罰を適切かつ明確に行え。

内閣人事局

防衛省の日報の隠ぺい、厚労省の調査データのメイキング、財務省の決裁文書の改ざんなど不正の連鎖の原因を「内閣人事局」に求める意見が多い。政治家の優位性を確保するため人事権を官邸主導にしたのが「内閣人事局」だ。民主党政権で発案され、自民党・安倍政権が2014年4月に成立させた。これにより日本の官僚は完全に「骨抜きにされた」とまで言われている。人事権を官邸が握ったため、官僚たちは忖度して政権に不都合な事実の隠蔽や文書の改ざんを行い、政権に都合の良いようにデータをメイキングするようになった、というのだ。

 人事とは権力の行使である、だから人事する側の見識が問われる

組織において人を行動に駆り立てるのは次の二つに集約できるのではないだろうか。

①名誉とおカネ(昇進・昇格・昇給)

②使命感とプライド(意地)

①が人事に直結する。組織人が「ゴマすり」や「太鼓持ち」と揶揄されようとも人事権を持っている上司に媚びへつらうのは当然のことだ。家族があればなおさらだ。

だから人事の問題とは、される側の問題ではなく、する側の問題であり、する側の見識の問題である。人事権という権力行使の問題でもある。

ところが不幸なことに見識のある人材が人事権を持つとは限らない。特に年功序列の日本ではむしろ見識に欠ける人材が人事権を持つことの方が多いのかもしれない。

人事は権力の行使であるから、見識があるかないかは、行使の仕方が慎重かどうかで見極めることができる。もちろん過去の年功序列の延長で行う保守的な行使を慎重といっているのではない。それは機械的な行使で、それしかできなければ単なる無能力である。

見識がない人間が権力を持つと、やたらと権力をふるいたがるし、人事においては組織や人を無邪気に変えたがる。しかも17条憲法が戒めている情実人事を見識がないから確信犯として堂々とやってしまう。確信犯の場合、結果がすべてだ。結果が良ければ確信犯は極めて高く評価される。英雄とは確信犯である。結果が悪ければ権力の乱用、悪用と厳しく糾弾される。

だから不祥事の連鎖をもたらした今の内閣人事局は、権力の乱用、悪用を重ねてきた結果だと言われても仕方ない。

たとえ内閣人事局を解体しても、恐らく問題は解決しないだろう。常に権力を行使する側の見識の問題なのだ。

見識のなさが招いた不祥事

安倍政権は誕生のときから、「お友達によるお友達政治」とか「お友達内閣」と言われ続けてきた。結局のところ安倍総理の「決められる政治」とは賛成者を集める政治に他ならなかった。一方、菅官房長官などによって繰り返されてきた常軌を逸したマスコミ攻撃などは恫喝政治だ。

およそ権力の行使において、慎重とか見識といったことから、これほど遠い政権も珍しい。

 

 

 

 

 

新手の護送船団方式「官民一体のデータ改ざん」―このままじゃ日本がダメになる

止まらない改ざんの連鎖

財務省の決裁文書改ざん問題が表面化したとき「またか」と思ったのは私だけではないだろう。東芝原発事業に関わる不正会計処理が発覚したのは2015年、それから三菱自動車の燃費データ改ざん、日産、スバルの無資格検査問題が表面化する。我が家の日産エクストレイルも該当車だが、残念ながら1枚の手紙、1本の電話、1言のお詫びもなかった。問題発覚から数か月後の定期検査のときディーラーの営業に問い質したところ「法定点検を終了しているので問題ない」と素っ気ない反応だった。何でもディーラーの点検の方が工場の検査より厳密であり厳格だからだそうだ。やれやれ。

工場における検査が意味のないものなら、どうしてそのような検査が自動車業界には残っているのだろうか。戦後の護送船団方式の名残かも知れない。護送船団方式は、金融業界を中心に、監督官庁が主導して業界内の利害調整や行政指導により日本経済をけん引してきた日本独自の社会主義的経済政策だ。戦後の混乱期や高度成長期には有効だったもかもしれないが、それが結果として企業の自主性や独自性を奪い、官依存の体質を生み出したようである。なぜ、自動車業界は意味のない検査を横並びで続けているのか、なぜ、日産は顧客には謝らずに石井国土交通大臣に謝りに行き、国交省から厳しく叱責されたのか。意味のない検査を巡る不思議な光景だ。何か裏があるのだろうか。

さて、さらに東洋ゴムでは免震ゴムの検査データ改ざんに端を発し、防振ゴムなど芋づる式にデータ改ざんが明らかとなり、神戸製鋼所も同じように品質データの改ざんのオンパレードとなる。神戸製鋼所の場合は執行役員が知っていたとのことだから、文字通り組織ぐるみの改ざんが長年の習慣として行われていた。

続いて三菱マテリアルの検査記録データ改ざんや東レの品質データ改ざん問題。東レの場合は、データは改ざんしたものの安全性の問題がないため、神戸製鋼所の問題が表面化しなかったら公表しなかった可能性が大きいと報道されていた。「公表してやったことを有り難く思え」ということだろうか。だから榊原経団連会長は本年5月までの会長任期を全うする。安全性への影響の大きさではなく顧客と約束した品質を守らなかったという事の重大性を認識していないようだ。というか顧客との約束は守らなくても良い、ばれても安全基準はいくらでも変えられる、という意識なのだろう。まるで中国企業のようだ。

そして真打登場が榊原会長とお友だちの安倍総理だ。肝入りの働き方改革では厚生労働省が労働時間の調査データを改ざんして、改ざんデータをもとに法案を作成し、森友問題では財務省が土地取引にかかわる決裁文書を改ざんして、改ざん文書で1年間国会での議論に時間を費やした。榊原会長と同じように安倍総理も責任を取る気配はまったくない。

政府系金融機関商工中金においても、アベノミクスの評価に関わる毎月の経済統計調査データを調査せずに架空の数値を報告していた。改ざんすべきデータすらなかったわけだ。日本政府発表の経済統計の信頼性を根底から揺るがすものだ。

即刻責任を取ること、取らせることこそ最大の不正防止策であり、日本が生き残る道

今や日本企業も日本政府も世界から信頼を失いつつある。しかも信頼を失うような行為にかかわった人間が責任をとることなく居座っている。 

居座る理由が「不正が起きた原因を徹底的に究明し、二度と起こらないよう対策を講じることこそが私の責任だ」というものだ。しかし残念ながらこれはまったく成立しない。当事者だからできるわけないのである。

それよりもたとえ混乱が生じてもスパッとやめること、もしくはやめさせることだ。これこそが最大の原因究明につながり、再発防止策となるのだ。こんなことは道の理だろう。おおよそ企業や政治の世界では「余人をもって代え難し」はあり得ない。それが成り立つのなら日本の企業も政府もはるか昔に崩壊していたはずだ。代替えとなる人材はいくらでもいる。

大切なことは「不正をすると責任をとらされる」社会にすることだ。契約社会の欧米では締結した契約は愚直に守ろうとする。契約違反をすると莫大な損害賠償や請求が発生するからだ。企業は簡単にふっとび、首も簡単にふっとぶ社会なのだ。株価の下落を招くような行為は絶対に許されない。

それに引き換え日本はどうだろう。なぜ不正の連鎖に歯止めがかからないのだろうか。

もちろん責任者が責任を取らなくて良い社会だからだ。本来、責任者が高額な収入と高い名声を得るのは責任を取るからではないのか。総理や経営者が安穏とゴルフをしていられるのは、いったん事が発生すると責任を取るからだ。責任を取らないのなら、単にゴルフで遊んでいるだけだ。

日本においては護送船団を守ることができるのであれば不正すら黙認されることが、この一連の不正連鎖の中に見て取ることができる。しかし不正が誤魔化しになるとどうだろうか。船底に穴が開いて浸水しているのに、浸水していませんと誤魔化しているとやがて沈んでしまう。

偽装、隠ぺい、改ざん、捏造を繰り返している日本の護送船団に寄港を許可してくれるのは、このままではもうすぐ中国ぐらいになってしまうだろう。ただし、中国までたどり着ければの話だが。

 

 

佐川アルマジロが守ったものは―官僚組織が国家である

「証人喚問の意味がない」、小池さんがそれを言っちゃお終いだ

昨日、参議院衆議院の予算院会で佐川前国税庁長官の証人喚問が行われた。森友問題の突破口となる期待もあったが、佐川アルマジロの硬い甲羅に国会議員ははじき返された恰好だ。論客で知られる小池共産党書記局長も「これじゃ証人喚問の意味がまったくありません」、「証人喚問が成立しない」と嘆くしかなかった。舌鋒鋭く相手に切り込めるのは小池議員ぐらいだろうから、そんな泣き言を小池議員は発してはならない。時間も限られ、検察のような強力な捜査権もないのだから、佐川アルマジロの不誠実と論理矛盾を国民に分かりやすく整理し、少しでも多くの国民に政府と官僚組織に対する不信感を抱かせることができれば良いのだと思う。         

アルマジロは外敵に襲われると手や足を引っ込め、硬い甲羅を丸めて身を守る。佐川アルマジロの甲羅はもちろん鉄壁な官僚組織だろうが、守ったのは、いろいろな見方があるが、私には安倍総理でも昭恵夫人でもなく、官僚自身だった気がする。

先日の新聞報道によると天下りが有名無実となっており、財務官僚が金融機関に天下ると年収ベースで5000万円を超える収入を手にするそうだ。天下る前はトップの55歳事務次官で年収約2500万円。国会議員の平均年収が約2200万円だから、これを凌ぐ収入が高級官僚には保障され、天下り後は信じられないぐらいの額の収入を得ている。

天下り先や高額な収入も含めた全体が官僚組織であり、官僚が一丸となって組織防衛に走るのは、至極当然のことだ。

野党議員vs官僚組織

国会議員は年収以外に文書交通費や政党交付金などが2000万円程度支給される。しかし政党交付金は政党の事情により国会議員にわたる金額は大きく上下する。地方出身の議員は最低でも自宅、地方事務所、議員会館内の事務所、議員宿舎の4か所の居場所を維持しなければならない。議員会館にある事務所の冷蔵庫、テレビなどの購入費やNHKの受信料なども自己負担だ。地方事務所を維持するためには冷蔵庫やテレビ、コピー機などの備品以外に家賃や遊説用の車なども必要だ。秘書は3人まで認められているだけだから、それ以外の留守番や電話番などのスタッフの人件費も必要だ。こうした諸経費はすべて領収書が必要だし、領収書は公開される。だから資産家の世襲議員でもなく、派閥のボスによる資金援助もなく、企業などの大口の金づるもいない野党の国会議員は、思いのほか貧乏だ。経費節減で新聞の購読すらやめた議員もいれば、地元に帰って選挙活動をするための交通費のやりくりに苦しんでいる議員もいる。地元の後援会や支援組織も国会議員の収入に期待を寄せて大きな口を開けて待っている。何とも因果な商売だ。こうした野党の国会議員自民党公明党の政府与党や巨大な官僚組織に立ち向かっていく姿はドンキホーテさながら滑稽でもあるし悲惨でもある。

このような窮状を知っている官僚が、野党議員を見下すのも当然のことだ。しかし見下すと言っても、我々一般人とはレベルが異なる。ネットの言説空間に溢れる下品な言葉を使う官僚はいないし、慇懃無礼な態度だと言われる愚かな官僚もいない。

なぜか。それは官僚組織があまりにも巨大で競争が激しいからだ。言葉遣いや態度などのつまらないところで突かれるようでは出世できないのだ。

 佐川氏の証人喚問後に開催された立憲民主党の森友・加計学園問題PT(2018.3.27)

会計検査院財務省国交省の官僚を招聘、衆議院第一議員会館

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 官僚組織維持の基本原則は問題を起こさないことと合理的根拠 

佐川氏がつまずいたのは公文書の書換え前の文書を残し、書き換えたことがばれたことだ。それによって前代未聞と言われる公文書改ざん事件を引き起こしたことだ。通常であれば優秀なキャリア官僚は、たとえ文書を書き換えたとしても、書き換える前の文書は絶対に残さない。内部告発されないだけの部下との関係性もきちんと維持するだろう。恐らく森友案件が政治案件、刑事事件案件に発展してしまったため何らかの齟齬が生じて朝日新聞に情報が漏れてしまったのだ。優秀な官僚によるあまりにもお粗末な顛末が森友問題の実相を物語っているのだろう。

朝日新聞のスクープの最大の功績は政治家の関与を暗示したことではなく、官僚組織の鉄壁の合理的根拠を突き崩したことだ。だからヘナヘナと佐川氏は辞任し、財務省は公文書の改ざんを認めたのだ。官僚組織を含めた税金を使う側の権力全体に対するメディアのチェック機能の重要性を国民に再認識させたことが朝日新聞の最大の功績だろう。これは大切なことだ。

官僚組織は競争が激しいため公文書には決定に至るまでの合理的根拠を記載する必要がある。「誰がそんな決定をしたのだ」、「この決定には何ら正当な根拠がないではないか」と簡単に足を引っ張られるようでは出世は覚束ない。合理的根拠とは「真実」である必要ない。というか合理的根拠が「真実」を形成するのだ。自分たちの世界で筋道が通っていればいいのだ。

鏡文は1枚、決裁者は資料のコピーを保有せず―決裁文書に押印した官僚も連座責任

会社では押印欄のある決裁資料の先頭ページを頭紙(あたまがみ)と言ったりするが官僚の世界では鏡文(かがみぶん)と言うらしい。鏡文をそのままにして、中身を差し替えたのが今回の改ざん事件だ。

鏡文は1ページしかないとはいえ、とても重要な資料だ。起草者や提案者及び決裁者、決済日などが分かるからだ。

会社では決裁資料を後日改定することがそれなりの頻度で発生する。数字や固有名詞の単純な間違いや決裁後に購入物件の価格改定が発生したといった場合である。その場合、先頭の鏡文を含めて改定する。改定理由を取締役会など決裁者が出席する正式な会議で説明したり、上司の指示のもとに担当者が個別に決裁者を回って説明し、頭を下げ、承認を得て、再度押印してもらう。つまり決裁資料の改定は決裁者全員の承認のもとに行う。決裁者は、役員、局長、部長、次長、課長といったそれなりの立場にある人たちだから、決裁者に無断で担当者が勝手に資料の差替えや書換えをすることは本来起こりえないし、怖くてそんなことはやらない。ということは、今回の決裁資料の書換えは押印した決裁者の了承のもとに行われたのではないか。もし決裁者の知らないところで行われたと主張するのであれば、決裁者全員が管理者として不適格ということになる。いずれにせよ今回の事件では決裁者全員の降格や刑事訴追といった責任は免れない。そのための決裁者なのだ。

加えて書き換えられた公文書のコピーである。会社であれば決裁者全員が決裁資料のコピーを保有している。財務省はコピーを決裁者は保管していないというが、まったく信じられない話だ。この辺りも突っ込みどころだろう。官僚組織のおける仕事の進め方や手順にフォーカスすると違った側面が見えてくるかもしれない。

安倍総理昭恵夫人も官僚組織の駒に過ぎない

 森友案件の公文書も刑事事件にならなければ改定されることもなく封印されて終わったはずだ。後から別の官僚が足を引っ張ってやろうと勇んで読んだとしても、総理夫人の名前を見た途端、恐らく見なかったことにして封印され続けただろう。文書の公開請求があっても改ざんせず黒塗りにすれば良いだけだ。

官僚組織の最大の規範は合理的根拠だ。高級官僚になればなるほど、目指すは年収5000万円以上の収入なのだ。あるいは豪華な役員室や理事室、運転手付きの専用車なのだ。そのために組織内において合理的根拠をどうやって構築するのか、ときには必要であれば政治家の駒も使う、ただそれだけだ。政治家絡みの案件であれば政治家の名前を使うのは当然だ。

安倍総理昭恵夫人との関与をいくら問いただしても、それを否定するのは、今後とも官僚組織としてはその駒を使う必要があるからだ。であれば安倍総理昭恵夫人との関与以外のところで合理的根拠を崩すしかない。改ざん後の文書が8億円値引きの合理的根拠の説明になっているか、ということだ。たとえばボーリング調査による価格算定の根拠だ。

公文書管理の新たなルールづくり

いずれにせよ小池議員が言っていた通り、これで終わらせてはならない。かといって政治家や昭恵夫人の関与を証明しようとしても極めて困難だ。できるのは「徹底的に原因究明する」といった安倍総理のウソ、すなわち原因究明に後ろ向きな総理や政府与党の態度を国民に明らかにすることだろう。

加えて早急に公文書管理の新たな法案をつくるべきだ。自衛隊日報問題や森友問題のように「文書は破棄しました」などとは言わせない法案だ。秘密保護法の一角を突き崩すか、その範囲を厳しく制限する法案だ。

今後とも黒塗り資料は出てくるだろうし、すべてがリアルタイムに公開される必要もないだろう。しかし、それでも情報開示の必要性や重要性を多くの国民が感じている。秘密保護法を強行した自民、公明の政府与党も以前にようにはいかないだろう。

国会議員が官僚を縛ることができるのは国政調査権でもない。法律なのだ。官僚に見下される政治家の唯一の対抗手段だ。

 

 

 

 

 

 

 

我が家にもやってきた"ネトウヨ"チラシ

先週、朝日新聞の朝刊を取りに行ったところ、写真のようなチラシが郵便受けに入っていた。朝から一日の出鼻をくじかれた感じだ、いやはや。

捏造を「アサヒる」というそうだ。そうか財務省の公文書の改ざんや捏造のことを「財務省はアサヒっている」というのか。「財務省アサヒるな!!」。

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これは匿名のチラシで、「自費で作成、配布している」そうだ。私のウォーキングコースに大型街宣車を頻繁にとめている住宅があるので、右翼の住民が隣組活動でも始めたのだろうか。そうでなければそれなりの資金が背後で動いていることになる。

南京大虐殺はでっち上げ」や「従軍慰安婦は高級売春婦」だとする主張は、主張すればするほど日本を貶める効果しかない。その意味では私の方がはるかに優れた愛国者だ。「喝!!これ以上日本の品位を穢すな」。

敗戦を敗戦として、過ちを過ちとして、失敗を失敗としてを認め、そこを起点に国づくりを進め、戦後復興や高度経済成長を成し遂げてきたことに対し、その出発点は自虐史観だと一笑に付し、全面否定する。どれほどの証拠や証言を突き付けられても、不都合な事実にはまったく耳を貸さず、偏った根拠や意見に固執する姿勢は、ある意味、とても楽な生き方だ。

物事には表と裏、光と影、長所と短所、左と右があり得るが、現実は多くの場合、その両極の間に落ち、ふらふらと進んでいく。現実解を見極め、提示するには、両極をビシッと読み切る力量が必要になる。両極を読み切るには時間もかかるし、勉強もしなければならない。

企業が求めるのは、両極をきちんと視野に収め、柔軟にその時々の現実解を提示できる能力を持った人材だ。真逆の意見を持った社員を束ねていくリーダだ。たとえばシステムをスクラップアンドビルドするとき、既存のシステムのプラス面とマイナス面を読み切る必要がある。マイナス面だけを捉えて新しいシステムを構築するのは簡単だが、だいたいにおいて失敗するか、想定外のコストがかかったりする。マイナス面を改善しつつ、プラス面を維持することを目指すためには両極の見極めが何より重要だ。時にはプラス面の幾つかを意識的に犠牲にすることさえある。コストダウンを優先とするため、レスポンスや操作性を犠牲にするのは良くあることだ。しかし困ったことにレスポンスの遅さや操作性の悪さなどマイナス面を適当に列挙するのはとても簡単なことだ。誰にでもできる。企業のトラブルや不祥事が絶えないのは、簡単に仕事をするからだ。

この簡単な発想や生き方を上のチラシに見ることができる。しかし、世の中の動きを見ていると、簡単な生き方を選択する、もしくは簡単な生き方しかできない人が増えている気がする。裏づけや根拠のないツイッターの投稿や拡散が良い例だろう。安易、単純、簡単、無邪気の連鎖だ。

それこそ年寄りの偏った見方だろうって?そうであればいいのだが、とても気がかりだ。   

 

 

言語能力は思考力のバロメータ

バイリンガルの思考能力に関する調査は古くから世界中で行われており、言語学の分野では「バイリンガルの知能はモノリンガルの知能よりも低い」ことが知られている。そうでない人もいるが、それはもちろん優秀だからである。優秀ではない人口の8~9割を占めるわれわれ凡人がバイリンガルの環境で育つと、だいだいにおいてバカになるということだ。

「言語の限界が思考の限界」、つまり思考は言語で行うため、言語能力が低いと思考能力も低い。言語とは母語もしくは母国語のことである。日本人であれば小学生から英会話を習っても、たとえ米国に移住しても日本語で考える。日本語で考える力が思考能力にほかならない。考える力を向上させるためには日本語力を鍛えることが必要だ。英語と国語が弱いと東大の入学試験を突破できない。もちろんそれ以外の数学や物理が弱くても突破できないのだが。     

幼稚園や小学生から英会話教育をすると子供がバカに育つ

 そのため言語学者はもちろんのこと、教育界、海外で丁々発止と仕事をしたことのある人たちの多くが、小学校の英会話教育導入に反対してきた。しかし、自民党公明党の政府与党は聞く耳を持たない。日本語教育をしっかりしなければ教育勅語池田大作先生の著作物を読みこなすことも理解することもできないのにおかしな話だ。確かに海外で買い物ができる英会話能力の方が教育勅語よりは役に立ちそうだ。

「日本のことをきちんと話せるだけの教養がないとバカにされビジネスの世界でも相手にされない」といったビジネスマンの話は良く聞く。日本語で満足に自己紹介できなければ、英会話を身につけたところで、やはり自己紹介できない。日本語の語彙力が低ければ、いくら英語を勉強しても語彙力は低いままだ。小学生の会話は日本語にせよ、英語にせよ小学生の会話なのだ。実に単純な話だ。

思考能力の低いバイリンガルを通訳に使ってはならない

東南アジアから12歳の時に親に連れられて来日し、帰化した知人がいる。両親も現地の人だが頑張って働いて学費の高い日本の私立大学を卒業させてくれたそうだ。もう40歳近くになるのに日本語の発音はそれなりのレベルだ。日本語での会話も何を言っているのか分からないことが良くある。東南アジアの会社で通訳として紹介されたのが知人となったきっかけだが、確かに彼の現地語はネイティブだ。しかし通訳してもらってすぐに分かったのだが、彼の通訳を現地の人は一生懸命に聞いているのだが、だいたい怪訝な表情をしている。私の話が伝わっていないのは確かだ。そこで表現を変え、再度、通訳してもらう。これを繰り返して現地の人が合点のいった顔をして、私を見てニコッと笑ったのを確認してから次の話に進めるしかなかった。だから打合せ時間が長くなる。長くなると私の話や現地の人の質問の通訳はどんどん短くなる。最後は何を彼らは聞いているのかと問いただしても「いやつまらない話をしているだけですよ」と完全な省略モードに入る。

夕食の接待を受けたときは、くつろいだ雰囲気だったので冗談を言ったつもりだったが、これが失敗だった。まず、通訳の知人が怪訝な表情をし、通訳してもらった現地の人はさらに怪訝な顔する。アルコールが入り言い直すのも面倒だったので「この食事は美味しいですね」とか「この材料は何ですか」と小学生のような会話を通訳してもらうしかなかった。

そこではたと気づいたのである。彼の現地語能力は来日した12歳のときのままなのだ。現地語で中学、高校の教育を受けていないから仕方ないのだ。したがって思考能力も12歳並みなのだ。大人の会話や冗談は小学生には理解できないということだ。彼との日本語での会話も良く分からないことが多々あったのだが、現地の人たちも私と同じ状態だったのである。結局のところ小学生を介して仕事の話をしていたのと同じだったのだ。

母国語の言語能力が思考力を決定するのである。       

 テレビでお笑いタレントの下品語にさらされると子供はバカになる

最近とみにテレビが下品になった。ため口と下品語のオンパレードである。「バカ」、「アホ」はテレビの日常用語だ。下品語でうるさいCMや食事時に下痢止めやトイレ関連商品の宣伝を流す下品なCMも多い。下品語の特徴は発する言葉が短く、うるさく、語彙が少ないことだ。つまり論理的ではなく、感情を少ない言葉でストレートに表現する。たとえば「やばい」という言葉の意味は状況によって変化する。相手をけなしているときにも、褒めているときにも使われる。語彙が少ないから自然とそうなるのだ。状況を察して「やばい」の意味を正しく把握しないと「空気が読めない」とレッテルが貼られる。

ビジネス文書は分かりやすさと誰が読んでも同じ内容として理解されることが必要だ。そのためには言葉の定義が重要になる。一つの文章の中で同じ言葉が異なる意味で使われたら理解しづらくなるが、そのような文章は意外と多い。たとえば「コミュニケーション能力が低い」という場合、「コミュニケーション」の定義がなされないまま、文脈の中で「挨拶ができない」、「パワーポイントの使い方が下手」、「メールの表現が不適切」、「人と接するのが苦手」、「部下に対して高圧的である」と意味が変化してしまうと、一体全体書き手は何が言いたいのか、何を問題だと思っているのか分からなくなるし、読んでいる方としても使われている言葉の意味が曖昧だと、すごく疲れてしまう。

そこで意味を問いただすと「いや全部ですよ」と平気で言う。「全部」という表現も良く聞く言葉で、語彙力不足を物語る常套句だ。そうなると提案書としては最悪の総花的、羅列的な内容になる。体系的でなく、焦点も定まっていない総花的な提案はだいたいにおいて受け入れられないし、やらせたところで失敗するだけだ。

テレビから逃げるわけにはいかないだろうが、それでもお笑いタレントの下品語は百害あって一利なしだ。子供は下品語しか使えないバカに育ち、ビジネス文書を満足に書けない大人になるだけだ。

言語能力の貧しさは、思考能力の貧しさにほかならない。お笑いタレントを見ていると良く分かる。あのように子供は育つのだ。ぞっとする世の中だ。

下品語が蔓延し優越感溢れるネット空間

「能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス」(Wiki)をダニング=クルーガ効果といい、米国の企業では熱心に対策を講じている。そのような人材を採用したり、重要なポストにつけたりさせないためだ。

そのような口先だけの勘違い人間は昔からいたのだが、ネット空間がそれに拍車をかけている。米国のITベンチャーの大半がどうもそうらしい。あきれるほどレベルの低いプログラムの売り込みが多いという。シリコンバレーが勘違いしたアホの巣窟と言われるようになって久しい。投資家の腕の見せ所は勘違いしたアホの中に埋もれているキラリと光る人材の発掘なのだ。

ネット空間における下品語の蔓延は思考力の低さを端的に物語っているのだが、ビジネス文書などを普通に書くことのできる人間は下品語を使うことができる。下品語を使って下品な自分を演出して、ネット空間で暴れさせることもできる。しかし下品語しか使えない人間は下品なまま、一方的に下品語を垂れ流すだけだ。提案書などを仕事として書かせても雑文しか書けない。論理展開できないから説得力のある文章にはならないのだ。提案力とは説得力であり、説得力とは論理力であり思考力なのだ。

ネトウヨと呼ばれる現象はダニング=クルーガ効果の典型だろう。「優越の錯覚」は当然のことながら権力志向になる。優越感とは高みに立つことだからだ。かといって権力を叩くほどの知識や技量はないから、権力側の発言を引用して野党やデモ参加者を叩いたり、弱者や少数者を上から目線でバカにしたり、ヘイトスピーチに走ったりする。引用や他人を見下す発言を繰り返すことで、それが自分自身の知識や意見あるいは自分が高みに立っていると錯覚して、最後は自分は絶対に凄い、完璧だという全能感に行きつく。権力との一体感、これがネトウヨと呼ばれるネット空間におけるダニング=クルーガ効果だ。ホームレスの襲撃と根は同じだ。

小学生後半から中学生の反抗期にネット空間で「優越の錯覚」に陥ると最悪だ。あれこれ思い悩んだり我慢したりすることもなく、無邪気に下品語をネット空間に垂れ流すことによって、下品語で自己完結し、思考力が弱いままに育ってしまうからだ。それ以降、たとえ勉強したとしても単語の数が多少増えるぐらいで、下品語による思考力の弱さを脱することができず、反抗期の未熟さのまま大人になる。オンラインゲームでチャットをやっても、この手の相手はつき合いが長続きしない。大半は一方的に下品語や罵詈雑言を繰り出して、さっさとどこかに行ってしまう。結局のところ、長続きするのはごく普通にチャットのできる人たちばかりだ。ネット空間で普通にチャットのできない人間は現実空間でも普通に会話ができない。

言語能力は思考力のバロメータなのだ。ときには生き方そのもののバロメータでもある。

 

 

 

 

「書き換え前の文書を見ても、私や私の妻が関わっていないことは明らかだ」

多くを語る必要はないだろう。

土地売買の決裁文書に「いい土地ですから、前に進めてください」という安部昭恵名誉校長の言葉が記述され、
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この写真が添付され、決済印が押されて土地の売買が成立したのだ。

少なくとも財務省は総理夫人が関わっている案件だと認識して土地の売買を行ったことは事実だ。

いったい全体どこから「妻が関わっていないのは明らかだ」となるのだろうか。

安部総理の日本語がおかしいことだけは明らかだ。